古道具 中野商店

古道具 中野商店

古道具 中野商店

「ギャル」になれなかった、中央線女子のマインドをコワイくらいリアルに描き出した小説。それが「古道具 中野商店」だ。

学生の多い東京の西の近郊の町、おそらく中央線の中野〜吉祥寺駅の間に古道具屋の商店はある。
小説の語り手となるヒトミは、店のガラスに張ってあったアルバイト募集の張り紙を見て、昭和半ば以降の家庭用品、古着、雑貨などがところ狭しと陳列されている古道具屋で働くようになる。客が来ない時は文庫本を読むなどして過ごせる賃金は安いが労働には見合っている仕事場だ。
店主の中野さんは、痩せ型・髭面・ニット帽の妙な見た目をした言葉遣いは誰に対しても基本はタメ口で、サラリーマン生活を早々にドロップアウトし、古道具屋を開業、離婚2回、再婚3回、愛人1人の女癖の悪い、のらりくらりと世の中を生きているオヤジで、店には、いつでもはればれとした声を出す五十代半ばの独身ゲイジュツカの姉・マサヨさんが頻繁に顔を出す。同じバイトのタケオは、「ソンザイがムカツク」と高校生の時にいじめぬかれ、鉄扉に指を挟まれて、右手小指の第一関節より先が無い。中野商店で働き始めたきっかけは「犬が死んだから」。
そんな自分を含め4人の恋愛の形と中野商店を訪れる様々な人々をヒトミが観察し語っていく。

ヒトミの特長といえるのが、語りの日本語の達者さだ。街角で「この日本語の意味わかりますか?」と質問したら正解率がとても低そうな、「悠揚せまらざる」「端倪すべからず」「炯々」「滂沱」などの難易度の高い日本語を上手に使って語る。なのに、ヒトミは有名で頭の良い大学といえば東大しか知らないと言ってみたり、学習院をガクシュウインとカタカナで受け取ったりと、年齢と学歴との国語力のギャップが激しく、最初は「こんなに日本語を使える若者なんて絶対にいるわけない!」と違和感を感じていた。だが、読み進めるうちに、これはヒトミの戦略かもしれないと思うようになってきた。

ヒトミは性格が悪い! 人の観察ばかりしていて、自分は一歩下がった一段高い所で見下ろしている。自ら積極的に話すことはなく、いつも中野さんとマサヨさんの話を聞いて“あげている”。また、タケオは自分より必ず下の存在でならなくてはなくて、タケオが思い通りに動かないとナマイキと思ったり、すっごくいじわるなことを言って、怒り出すのだ。

どうして、ヒトミはこんなにプライドが高くて自意識が強いのか。それは、やはり中央線女子という一言につきるのではないだろうか。女子が人生で一番最初にジャンル分けされるのは「ギャル」か「ギャルじゃない」かだと思う。現代の学校では、クラスの中で一番楽しそうで派手なグループといえばやはり「ギャル」だ。女子なら誰もが最初はギャルになろうと試してみて、そしてギャルになれない者がその他のジャンルに散って行くのだ。その中の一つに中央線女子がいる。
中央線女子は、学生時代にギャルになれなかった挫折感と悔しさ、そして侮蔑を持って思春期を過ごして行き、コピー製品のようで没個性なギャルにアンチを唱え、他者との差別化・個性化に躍起になる。なので、プライドと自意識はどんどん肥大していき、誰もが認める差別化・個性化が成功するまで、痛々しいまでにとんがってしまうのだ。

過剰に国語力ありすぎのヒトミの語り口は、きっと、「普通の女子みたいな喋り方はしたくない」という思いと、ギャルになれずに大量の読書に逃避したヒトミ故なのだと、私は納得した。

またヒトミは自分を客観的に見る能力もあるので、屈折した複雑な心境を語るヒトミ自身の説明も入り、ギャルになれなかった女子の難しさをよーく知ることが出来る。
ラストも過剰に頑張ってとんがっていた人の行く末がすとん収まりよく描かれており、中央線女子の思春期の最後に大きく燃え上がる炎を見せられるといえるこの小説は、ギャルになれなかった私のような人間には誠に心に痛い1冊なのだ。