同族嫌悪系女子

変わってるから困ってる

今の私のデスクは、ガラス張りの社長室の真横で社長室で会議をしている風景がよく見える。その奥には東京タワーも見える。90年代でコミケとかでぶいぶい(の後に(笑)をいれて)言わせていた漫画家ってみんな東京タワーが好きで東京タワーの近くに住んでるって書いている人が多かった。っていうのは、置いておいて、いつも人が真面目な顔をして、会議や話し合いをしているときって、よく、突然、私が椅子から立ち上がり、社長室のガラスにべたーと張り付いて「あ〜ぐぅ〜ぱひぃ〜っ!」とか言って、昔のタモリの密室ギャグみたいにシンショーのマネとか始めたら、この空間はどうなるんだろうとか考えちゃう。今日もなんか社長室では真面目な顔をして話し合っているので、今、私が……とか考えちゃう。他にも外で買い物をしているときにとか、子供が「あぶー」とか言いながら足元に絡み付いてくると、今、私がこの子の頭を思いっきりどついて地面に頭を激突させたら、どうなるんだろう、とか考えちゃって、その親の顔をみて、激怒する顔を思い浮かべたりして、どうなるんだろう……、その後どうなるんだろう、本当にそうなるのかなあ〜、なんてよく考えちゃう。でも、そういうことは大なり小なりみんな考えちゃうことだと思うけど、考えちゃうってことを口に出しちゃうのもどうかってことくらいの理性も持ち合わせているわけで。

何が書きたいのとかというと、こないだ読んだ『変わってるから困ってる』(藤枝 奈己絵/青林工芸舎)っていう香ばしいタイトルの漫画が意外におもしろくて、その内容がそれまた香ばしくて、私が前出で書いた妄想は、大なり小なりみんな持つって書いたんだけど、そういう側面を題材にして、かわいく描いていたのが、なんだか妙につぼだったんですわよ。
私が「きゃあぁぁぁぁ〜」と漫画を読んでうれしくなったのが、万引き癖のある主人公の女が、バイト先の女のかばんからスカーフを万引きをして、それに気づいたバイト仲間が追い詰めようとしたときに、盗まれた張本人の女が「集団で追い詰めるのって卑怯だよね。私、そういうの嫌いなの。もし、持っているなら明日の朝、あの木に結び付けといて」とか主人公に言ってきて、主人公は「なんて大人なんだ!それと比べ私は! ワナかもしれないけど」って翌朝、木の前にいったら、案の定バイト仲間が待ち伏せしていて、ボコられ、しかもボコったのは盗まれた本人じゃなくその友達で、主人公は「なんで本人じゃない奴にボコられるの、悔しい悔しい!この気持ちを解消したい」って思い、15万円ですっきりさせてくれるのを同じバイト仲間の変人の男に頼むと……。その後、なんだかんだで復習が成し遂げられるんだけど、それが情けない復習の遂げ方なんだけど、ちゃんと相手にダメージを与えられて、「やった!うれしい!うれしい!だけど、こんなことで喜ぶ私ってほんとダメ……、でも、うれしいうれしいうれしい!」って、一日中笑いが止まらなくて、シャボン玉を背景に背負っちゃうくらい幸せで、他人の不幸でこんな幸福を感じてしまう私ってダメだけど、うれしい!っていうのが、バツン!とキタんですヨ。そういう感情って絶対あるけど、出さないのが理性ってもんだものね。ただ、変わってる人の例でホストにはまってる女を出してきたのは、平凡すぎたかもー。

しかし、こういうのが漫画で出るなら、私にだって書けるって思う女が全国で相当数いるんだろうなあ、私も含め。ざっとネットで感想をみたら蛭子能収チルドレンって書いている人が多かった。今、女芸人も沢山出てきているし、漫画界も女で蛭子能収な芸風の人も出てきてもいいのかも。不条理な笑いを描く女漫画家。かっこいいのかも。